京を語る

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第1号 1992.7.7発行
このページは、情報誌「京都」掲載記事からの転載です

時代を取り入れてきたからこそ今日の京都がある。原 在修 原派

今日ほど環境間題をやかましくいったことはないだろう。それに京都では景観間題がかまびすしい。しかしいずれにしても当事者以外は、マスコミによって知るほか認識の方法がないのではなかろうか。

敗戦から35年、マスコミに身を置いていた私としては、ただ生きるだけがようやくであった時代から、誰もが遮二無二はたらいて、今日の京都の、いや日本の繁栄を築き上げて来たことを知っている。そして報道を通じて市民の意識が右に左に揺れながら、しかし芯だけはしっかりと持ち続けて、今日があることをも知っている。そうしたある時期“保存か間発か”で論議が闘わされたことがあったが、私は終始“保存も開発も”と欲の深い自論を持って来た。現在この2つはそれぞれその所を得て、両立が成り立っているようであるのは嬉しい。

あと2年で京都は建都1200年を迎える。長の年月その歴史を持ち続けて来たのは、美しい京都の山河自然だけであろう。もう1つ有難いのは伝統の文化が受け継がれ、さらに後世に生き続けてゆくであろうことだ。マスコミから茶道の宗家に身を転じて十数年。いま思うのは、感性豊かな若ものたちによって必ず京の良さは失われずに飛躍させてくれるだろう事である。古いだけが能ではない。常にそれぞれの“時代”をとり入れて来たからこそ、今日の京都があることを忘れてはならない。良識ある若い世代に任せることである。

原 在修
原 在修
はら ありなお
大正11年(1922)京都に生まれる。昭和18年京都市立絵画専門学校(現京都芸大)日本画科卒業。海軍予備学生に合格、海軍中尉で復員。戦後タ刊京都新聞社勤務の後、財団法人今日庵(裏千家)勤務。
江戸時代後半期の京都画壇で活躍した原在中(1750~1837)を初代とする原派の6代に当たる。在中・在明・在照・在泉・在寛・在修である。在中は88歳で没するまで精力的に制作を続け、相國寺、仁和寺、建仁寺、聖護院など多くの寺院に障屏画が現存する。在照は安政年度造営の現在の京都御所諸殿に襖絵を残し、在泉は仁和寺宸殿の3つの間に大量の障壁画を描いている。(写真・仁和寺宸殿上段の間「牡丹に孔雀図」)
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