京を語る

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第45号 1999.11.7発行
このページは、情報誌「京都」掲載記事からの転載です

京都の繁栄は、先人達の尊い犠牲の上に立つもの…。金山 日龍 叡昌山 本法寺

京都の地下には、何があるかご存知ですか?

はるか昔から、京都は政治の中心として栄える一方で、相次ぐ戦乱、飢饉、疫病により数え切れない多くの人が命を落としてきました。いつの世も政治が悪いと犠牲になるのは庶民です。誰にも弔われず、孤独のうちに亡くなっていった彼らの骸骨が、京都の地下数メートルも掘ればわんさか出てきます。

京都ほど地蔵盆のさかんな場所はなく、四辻のあちらこちらに地蔵が奉られています。それらは、無縁になっているおびただしい数の霊魂を、せめて慰めようとしてきた庶民の尊い心の表れなのです。現在の観光都市、京都の繁栄は、これらの尊い幾万という民の犠牲の上にあるものなのです。ところが、このようなことを伝えるバスガイドがいったい何人いることでしょう。先人達の恩恵を忘れて、京都の未来を真剣に考えることができるのでしょうか?

以前、市役所の税務課の方が、「京都は、御所や寺社ばかりで税収が少ない」とこぼしておられ、唖然としたものです。御所や寺社があっての京都、それらがある故に、さまざまな文化が華開き、今なお世界の人々の心を打つ京都たりえるのだと思います。

「日暮れて道遠し」。言いたいことは、山ほどありますが…。京都駅八条口のおよそ京都に求められるイメージとは程遠い殺伐とした建物群、極端に少ない公衆便所、放火を恐れず駐車場を境内に設ける寺などなど。これが、本当に文化都市『京都』といえるでしょうか?政治家、役人、企業、個人いずれにおいても「尊ぶ心」なければ、発展はありえません。先人達の尊い犠牲の上に立つ現在の京都、一人一人のできるところから見つめ直していくべきです。

金山 日龍
金山日龍
かなやまにちりゅう
大正5年、岡山県に生まれる。堺の月蔵寺で40年住職を務めたのち、65歳より本法寺住職となる。毎朝4時半に起床し、広大な境内を奥さんと2人で掃除する。座右の銘は、「無懈無倦(おこたることなく、なまけることなくの意)」。
叡昌山本法寺
叡昌山本法寺
永享8年(1436)、久遠成院日親上人が、開創した日蓮宗の本山。永享11年、不受不施を主張した日親は将軍足利義教の怒りにふれて投獄される。獄中で知り合った本阿弥清信は日親に帰依し、本法寺を本阿弥家代々の菩提所とした。故に清信の曾孫である光悦も本法寺と深い関わりをもつ。天正18年(1590)、現在地に移転。天明8年(1788)の大火で経蔵と宝庫を残して類焼し、現在の堂塔は後の再建となる。
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