京を語る

記事を探す

第31号 1997.7.7発行
このページは、情報誌「京都」掲載記事からの転載です

生きていく力が生まれてくるようなお寺にしたい。佐藤 照賢 無量寿山 西方寺

お堂の上の山で、お預かりしている古いお墓のお掃除をしていると、誰も訪れず、笹が降り注ぐ音だけが聞こえる中で、怖さと言うよりも、無性に寂しさを感じます。そして、おそらく、故人が生きていた頃から、毎年、花を咲かせたであろう遅咲きの山桜を見るにつけ、人が生きて輝ける時間はなんと短いのだろうと感じます。お寺のありよう、お寺を預かるものとしての心構えを確認できるひとときであります。

「お寺はこうでなければならない」というものはないと思いますが、五重・授戒などの行事を積み重ねていくことで、法然上人の教えをわかりやすく伝えるとともに、ここに来て、話をしているうちに生きていく力が涌き、命に関わる問題も乗り越えられるようにな っていただければ。現世利益よりも、もっと根本的なことを解決していただけるような、そんな、ふるさとのようなお寺でありたいと考えています。

京都が発展のない町になったと感じたのは、二度の台北への訪問。二度目に訪れたときには、十年の間に電線がすっかり地下に入っていたのです。やればできるのに、なんで京都はできなかったんやろと。

それと、ゴミが多すぎる。枯れ葉が落ちているだけなら、それは一つの風景になるけれど、ゴミが落ちていると、その枯れ葉まで、汚らしくなってしまいます。ゴミに関しては、もっと厳重な処罰を設けてもいい。このままでは、観光客のモラルも下がる一方であるよな気がしますね。京都には、いつまでも、すがすがしいプライドをもった町であり続けてほしいと思っています。

佐藤 照賢
佐藤昭賢
さとうしょうけん
大正15年生まれ。小学校卒業と同時に上京一條の浄福寺に随身(小僧)。昭和20年、知恩院にて加行を受ける。同23年、先代の他界により住職となる。同24年龍国大学卒業後、家政学園、四條畷学園、大阪学院大学等にて教職に携わり、同54年、教育功労賞受賞。
無量寿山 西方寺
無量寿山 西方寺
浄土宗知恩院末。本尊は阿弥陀如来。承安年間(1171~74)、松橋己講一海(左大臣藤原朝俊卿息)の創立。本尊及び十一面観世音は共に恵心僧都の作、地蔵菩薩は弘法大師の作と伝わる。江戸期には准三宮高演や三宝院座主が隠居所として念仏生活を送った。織田有楽斎が植えたと言われる樹齢400~500年の椿の木(ワビスケ)があり、土塀越しに花時門前を行きかう人々の目を楽しませてくれる。
〒601-1373
京都市伏見区醍醐中山町3
075-571-0202